院長のブログ

院長の友人、A君 B君

2014年01月28日

A君は頚部筋肉腫と診断され、浜松医大で手術し、肉腫の全てを切除した。
その間、A君の奥さんからの電話で
「主人は一人で病室です。携帯電話番号を言いますので、暇があったら電話してあげてください。」と。

A君は静岡市清水区で皮膚科を開業している。
常に電話では自分が皮膚科専門医であることと、
医院が盛業で常に160~170人の患者をうけもっていることを自慢している。
A君の子供は3人とも医学部医学科に入学し、現在皮膚科2人、麻酔科1人の医師で、
いずれも専門医を目指し励んでいる。
一時、特養ホームも経営しようかとする程の経営自慢で
全国各地の開業医の実態や状況を把握している。

A君「おまえ知ってるやろ?あの内科のM君が、今大阪の近くで
月亭八方みたいに大阪弁バリバリで患者を診療しているぜ!はやってるぜ!」

ところで和歌山県で同じく皮膚科を開業しているB君は、
A君とは対照的に、専門医を持たずパート事務員1人のこじんまりとした医院を経営している。

土曜日の夜になれば大阪に出て来て、碁会所で碁を打ちシティホテルに泊まる。
その夜には囲碁仲間だけでなく、常に7~8人の医師仲間から電話がかかってくるほど
友人が多く誰からも愛されている。

B君「おい木村よ!近頃元気やなぁ!!
もう65歳になったら友人たちも時々死ぬぜ?木村も健康に注意せぇよ!
なんぼお金があっても、常に話し合える友人がおるのが一番いい。」

A君、B君とも、その考え方、生活状態、ポリシーには互いに譲らない頑固さがある。

院長と医学部入試

2014年01月21日

医学部入試は、はたして難しくなったのか?易しくなったのか?

私の入試時は、大阪市大医学部医学科60名が定員だった。
今は90名。しかし大学によっては、AO入試や地域枠入試もある。
市大医学部医学科は、私の当時、出来る受験生も、いわば出来の悪い医者そのものに傾倒した
一種の成り上がり者(失礼!!)も含まれていた。
よって入学者60名は、公立、国立、私立の各有名校に数名、まんべんなく入学していた。

つまり学校差よりは、個人の実力によるものが大きかった。
中にはせっかく医学部入学しても、東大に逃げたもの、また、市大ではがまんしきれずに
東大理三に入学したものもいた。

今は定員が90名。しかも各個人だいたい国立、私立の進学校のみで占めている。
つまり、作られた医大生。全く行き場を無くし、くずれ医師になってもおかしくない。
医学部の質の低下が叫ばれる今日、果たして本物の医師として世の中に通用する立派な医業研究スキルを持ちえるかというと疑問である。

団塊の世代の医師は、65歳に達するが、まだ健在で実力も充分あり、
まだまだ年金生活に入る程老いぼれてはいない。健康であれば、80歳まで。

我々の入試の厳しさは今の生徒には解らないはずだ。
ちなみに私は大阪市大医学部医学科を19番で現役合格している。

与謝野町と堺市

2014年01月10日

私は、京都府宇治市で生まれたが、ほとんどは父の開業地である堺市堺区で育った。
小学校、中学校、高校と堺市内の公立学校に入学し、その地で泉州の布団太鼓とともに育った。
その堺市の駿河屋という和菓子屋に生まれたのは、俳人、与謝野晶子である。その後、晶子は鉄幹と結婚するが、鉄幹以上に晶子の俳句は値が高かった。江山文庫に晶子のいろいろな業績が眠っている。

私は、58歳で同窓生である浅野内科医院を継いだ。堺から与謝野町に移住してきた。
病院を初めて見て、これからの開業生活が始まるのだという妙に身に迫る緊張感を覚えた。

平成19年6月15日金曜日の初日、外来患者49人でスタートした。
その後、在宅医療と外来診療とを両立させて今日まできた。周りの地域の人々は、我々を快く迎えてくれた。生活は、年金生活者もかなり多く、厳しい現実があった。今まであった田舎祭りの子ども歌舞伎も中止になった。

ちりめん街道

与謝野町のちりめん街道

毎週金曜日に堺市に帰るが、特に嵐に遭遇し列車が動かないこともあった。昔懐かしい着物のミュージアムや大名行列があり、マラソンが盛んで大江山がどんとそびえている。川は豊富に水があり、6月頃から鮎が捕れる。ちりめんの里の風情は、昔を思い出す大正、昭和の薫りがした。人々は、車に乗ってクリニックを訪れ、病気だけでなく生活のこと、孫のこと、嫁のことを言って帰る。

堺市

堺市のちんちん電車

与謝野町は30%以上が65歳以上であり、昔のちりめんの商人達は80歳を超えて介護生活に入っている。一方、堺はビルディングがたちのぼり、銀行、生命保険会社やマンションのラッシュで生活はめざましく変貌している。人口は百万に届き、普段はゴミゴミしている。また、水は決して美味しくない。しかし、店はいたるところにあり、子どもも多い。

私は、この堺市がいやだから、ここ与謝野町に来たわけではないが、堺市には何か人々のどろどろした苦難と、生活のむずかしさを感ずる。
大学は阿倍野区の大阪市大へちんちん電車で上町大地を通った音が懐かしい。

京都保険医新聞 平成26年1月5日 第2880号掲載

hokeni

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

木村内科クリニック

全日本病院協会 準会員施設
日本病院総合診療医学会認定施設
地域包括医療・ケア認定施設

診療科目

内科、消化器内科、小児科、心療内科、
精神科、リハビリテーション科

所在地

〒629-2404
京都府与謝郡与謝野町後野
643-7

TEL:0772-43-2134
FAX: 0772-43-2134

  • 北丹後鉄道「野田川駅」より
    車で約10分

マップを見る


このページの先頭へ