院長のブログ

院長の幼少期と大阪

2020年12月08日

大阪は、ゴミゴミした、煙の町だった。

昭和30年代、道頓堀のほとりに、ステーキ店があった。
時々、大きな車を、引いた、労働者が、引っ掛け橋を、横切った。
ほとんど日本人で、九州から出稼ぎに来た人や、時々、帽子を、被った紳士が、早足で歩く。

私は、小学校生で、父親に連れられて、テレビを見て、初代若乃花が高熱のため、
鏡里の優勝のシーンを、ステーキ店で見た思い出がある。
父と母は、大丸とそごうの、外商にはっていた。
そこから南に、二人に連れられて、高島屋の、お子様ランチを、食べた。

ようやく日本が、立ち上がろうとするとき、新聞では、吉田茂内閣支持率が上がると、
その後、岸首相になって、学生運動が、勃発、
さらに、岸首相が、アメリカとの、安全保障を、合意するや、大学時代になって、
佐藤打倒、さらに、学内団交、阿倍野交番襲撃事件、校内封鎖、と進む。

この頃から、我々団塊の世代は、社会人として、世界を、相手にする、大阪、そして、日本を作る。

 

実家堺市の付近

実家堺市の付近

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

木村内科クリニック

全日本病院協会 準会員施設
日本病院総合診療医学会認定施設
地域包括医療・ケア認定施設

診療科目

内科、消化器内科、小児科、心療内科、
精神科、リハビリテーション科

所在地

〒629-2404
京都府与謝郡与謝野町後野
643-7

TEL:0772-43-2134
FAX: 0772-43-2134

  • 北丹後鉄道「野田川駅」より
    車で約10分

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