院長のブログ

院長のブログ

私の趣味 いざグルメ道への邁進

2014年08月20日

私は学生時代から勉強好きだったので、よく周りの人たちから「あなたの趣味は?」と聞かれた。そんな時に母が横から「スポーツ観戦やなあ!!」と皆に説明していた。確かに無趣味に近い部分があったが、年を重ねるにつれ、やれ旅行だ写真だボーリングだ随筆にフォトレターだと多趣味になっていった。

なかでも、無類のグルメ好きで、ホテルニューオータニ大阪のお披露目では、
祇園さヽ木の大将に招待された。

幼き頃、祖父(初代宇治市長)が宇治川で船遊びに出た際、同乗した尾形船の鵜飼の松明の光は、今でも私の記憶に鮮明に残っている。その時に感じたことは、宴の楽しさである。人々の顔はほころび、笑い、時にさけび、また時には三味線が奏でられる。幼少ながら高揚していた。

時は移り、クリニックを開業してから。今では北新地、堂島、ミナミ、祇園に繰り出し、ミシュラン一つ星、二つ星の店や、タレント・芸人、プロ野球選手、医師等が通う店に、金曜日の外来を終えてから繰り出す。向こうには何かわくわくする宴ショーが待ち受けているのではと思うと、ストレスがすべて身体から抜けていくのを覚える。これこそ最大の趣味、それがグルメである。

大将と私と二人で、ポーズをきめ写真を撮る。それをFacebookに載せる。
時折、山々、川谷の風景や、ビルディングの谷間を写真に撮ってコメントをする。
それも趣味の一つである。

その根底にあるものは、飽くなき探求心である。
私は常に何かを発見するガリバーなのかもしれない。

 

京都保険医新聞 平成26年8月20日 第2902号掲載

20140820-1

院長とファッション

2014年06月23日

私は最近、阪急メンズショップのある店に通うようになった。
そのショップは、カラーにこったデザインが豊富である。
これはアメリカンスタイルというのだろうか?あるいは、ニューヨーカーデザインか?

もともとファッションにくわしい訳ではないのだが、
ファッションにこりだしたのには理由がある。

それは30才代、まだ勤務医の頃だった。

ある病院の事務員にこう言われたのだ。
「先生!!ドクターらしく、ぴっしりと決めてくださいよ!!」
それ以来、私はファッションに気を付けるようになった。

年齢を重ねるに従って、服装が派手になっていく。
それはファッションが段々アメリカナイズされてきたからだろうか?

はずかしげもなく、申し訳ない。

20140623

院長は父を超えられるのか?

2014年06月11日

私の父は、中国大陸の戦地で軍医として戦った。
また、堺市で開業後、国民皆保険の創設の為に
日本医師会の医師達と集まって国に訴えた。

父は、この地で開業をほぼ45年間つづけた。
私はまだ開業7年が過ぎた時期で、やっとこの与謝野町に根差し始めた今日この頃。
父は医学書出版の金芳堂より、無料で木村浩として紳士録にも掲載された。

その父を超えるには?

私は現在65歳。しかし、父を超えたい!!
それは現実に思うことであり、父も私が幼少の頃から願っていたことだ。
そして私は常に努力し、今日よりは明日を目指している。
いつか、いつか・・・。

父の堺市の開業地が私の堺の実家である。

20140611

院長と学会

2014年05月26日

先日は学会のため午後から新幹線で岡山へ。

学会場に入れば、どこかで見慣れた医師達が何やら集って情報交換、
ポスター会場やら各セクションの会場をぐるりとしメイン会場へ。

徐々に徐々に席は込みだし今年は大盛況で、
1時間前からメイン会場はざわざわし始めた。

演者はアメリカの教授。
「学会場にいらっしゃったなら全員参加!」と
ロールプレイを要求しだしてきた。

ただでは聴講させないぞ!とのことだろうか。

20140526

院長と喫茶店

2014年05月09日

私は大学生の頃、よく喫茶店をはしごしてまわって勉強した。
私の友人A君は帝塚山にあるとある喫茶店で
有線のミュージックを聴きながら勉強していた。

彼は近くのアパートの2階に住み、親元から離れて下宿生活をしていた。
男の身なので彼宅をのぞいてみると、本やコップ、ヤカンなどがゴロゴロしていた。
そんな生活であるから、このさっぱりとしたモダンな喫茶店の店主に場代を払って勉強していた。

私はといえば、堺区の周りの喫茶店をはしごし、医学書を勉強していた。
40年ぶりに堺区にあるとある喫茶店に行ったら
マスターが「あ!あの時の医学生!!」と私に…。

私は今、与謝野町与謝にある「モック」という
アメリカンスタイルの喫茶店によく出没する。
モックのマスターと撮った写真がこれである。

20140509

良くも悪くも一生もっている「くせ」は変わらない。

院長とK君

2014年04月16日

院長の高校時代の友達であるK君が福知山駅に午前11:46分に降りたった。
頭はややはげて少し老けたようだ。

私と事務長(妻)が、改札口で待ってしばらく階段を降りてきた。
「K君やっ 12年ぶり」
私とK君は福知山の料亭の「だるま」に行き二人きりで会食す。

「だるま」は福知山の医師会がよく利用する所。
会食が終われば妻の運転でクリニックへと急ぐ。
約40分程でクリニックに付く。

K君いわく「思った通りやなぁ」とため息。
「何が思い通りや?」と私が聞くと
「木村はぜんぜん学生時代から変わらん」とK君。

K君は阪大法学部で大和銀行、大和総研と大和育ちで退職し65歳になる。
いつも心疾患を持ちながらアルコールをやらず
そんなK君が40年サラリーマンをやってきて思った事。

・ギブアンドテイクの世界
・自分から進んでやらなければ何も始まらない。
・ゴールをしたければまず自分から行動を起こす。

そしてK君は言う。
「真実は常に不変であるに同意。ある時にはそれがフォーカスとなるが、
その後他のフォーカスが真実になるという世の不変その道理に同意。」

まさにその通りだ。

クリニックから福地山駅への帰り際、 
3人で天橋立ビューランドへ立ち寄り写真を撮った。

20140416

院長はガリバー

2014年04月02日

20140319

私はこのクリニックを紹介されたのも偶然であり、
また、大学の同窓生の医院を紹介されたのも偶然である。

しかし、その距離は近畿中央部の堺市から日本海沿岸まで、実に車でノンストップで3時間位かかる。
山を越え、トンネルを頻回に越え、川岸や橋を渡り、その間、インターチェンジが6ヶ所及び7箇所ある。
阪神高速から中国道、さらに舞鶴道。その距離ははかり知れない。

そして金曜日の夜6時に外来診療が終わり、北新地、心斎橋、堂島、京橋、ミナミと帰りがたお店に行く。
つまりグルメのお店である。度々、俳優・タレント・野球選手・医師等が来るお店。
またこの店が終わって実家に帰宅しそのまま入眠する。

こんなハードな生活をしていると、元病院事務長さんが
「先生、お体に気をつけて。くれぐれも」
それもそのはず。この8月には前立腺のレーザー手術が待っている。
家内もこの頃、頻回にお店に行く事に激怒している。

院長は常に可能性にチャレンジするガリバーである。

院長の実家

2014年03月25日

201403252

私の実家は堺市堺区にあり、周りは金物業者や自転車業者などが立つ所。
中央の大通筋(紀州街道)のど真ん中を阪堺線、言わばちんちん電車が走り、
それを取り囲むように銀行や生命保険会社があり、
その地域の喫茶店やスナックに周りの住民が屯している。
そこでは「これはナンボ」の世界。
昔の大河ドラマ「黄金の日々」に画かれた地域である。

院長と往診Ⅱ

2014年03月07日

昨年8月頃、ところは宮津湾の伊根への国道。往診への道。

すべて、すべて波また波の宮津湾。
遠くに日置のマンションの高いビルディングと
その先に岬の高台に宮津ロイヤルホテルと煙突。
国道は湾内の巡り道に車は進む。

昼の2時頃、突然の雷とともに、フロントガラスに叩きつける雨。
車のワイパーのうねる音がヒーヒーと
サイドの車のボディを左右から噴水のように雨が叩きつけられ車は進む。

また空が光った。
「ゴーゴー」とまるで洪水の様に国道は水浸し。
浅い川の中の如く道を車は進む。

また空が光った。
「ゴーゴー」とサイドのボディに水が「ドンドン」と打ち付けてくる。

また数回にわたって空が光りしばらくして
「ゴーゴー」と空に電光が光る。

車はなおも進み、日置を過ぎて伊根町へ。
伊根の本庄から車は左に曲がって和やかな老夫婦が住む民家へとつづく。

車のナビは「道なりです」と告げる。
車の中のテレビの野球中継のアナウンサーはひとたび大きな声。
「あっ、今ピッチャー交代を告げました」と。

ゴーゴーたる車の内と外の音を聴きながら
伊根町の湾岸を越え本庄をさらに民家へと走る。

往診の時間、民家に駆け込むのに1時間20分に達する。

すべてすべて往診中の1コマである。

oushin2

院長と旅行

2014年02月18日

3

私はもう一つの夢、それは7日間位の船旅。
すなわち豪華客船に乗ってゆったりと一日過ごす。

しかし、私は今、クリニックは24時間体制で往診している身。
この実現にはまず問題がある。

「先生、すぐ来てください。母親が急に熱がでて変な事を言うのですが!」

こんな毎日を過ごしている私だが、客船の旅となるとやはり残念。
24時間365日、在宅診療支援診療所の宿命である。

とにかく働け働け!

そういう現実があるので、まず船の旅は無理である。

「先生、その旅はあきらめてください」とMRさん。

2006年にこの制度ができて、かかりつけ医は外来診療と訪問診療のいずれもをする事が整備されつつある。

船旅の中のパーティやゆったりとしたプールおよびショッピング、
その他旅行客との交流も多々ある旅だが…。

私は「あきらめきれない!!」

非常勤医師やパート医師に来てもらう、それも一案である。
旅の人と人とのひと事ひと事がいつまでも心の泉が如き、生活の源泉であり明日へ教訓である。

働け働け。頑張ります。

 

 

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

木村内科クリニック

全日本病院協会 準会員施設
日本病院総合診療医学会認定施設
地域包括医療・ケア認定施設

診療科目

内科、消化器内科、小児科、心療内科、
精神科、リハビリテーション科

所在地

〒629-2404
京都府与謝郡与謝野町後野
643-7

TEL:0772-43-2134
FAX: 0772-43-2134

  • 北丹後鉄道「野田川駅」より
    車で約10分

マップを見る


このページの先頭へ