院長の春が届く
2023年03月09日
私に、とって、日本専門医機構に、承認されると思われる、学会の、専門医指導医になることは、かねてからの、念願であり、これまでの、臨床医としての、自分を、肯定する資格である。
3月1日、学会から、合格のメールが届いた。
さらに、たつ挙げた、専門医プログラムの、認証の、メールも、その後届いた。
総合診療専門医は、その意味を、総合内科と取り違えている、医療人が、多く、わずか8%しか、理解されていない。人口高齢化社会に伴う、高齢者が、多疾患を合併して、持っており、初期対応及び、その後の継続医療を、全人的に、見れる、医師が、望まれ、人だけ出なく、家族及び、その地域から、生活を、含めて、丸ごと診る、医療と、ケアが、これから要求される。
地域包括ケアとは、医療施設、介護施設、保健所や、行政などに、連携して、保健、医療、介護、福祉など、のサービスを、提供するシステムをいう。循環器、消化器、呼吸器、心臓などの専門分野を、縦断的に深める、のではなく、横断的に、生活サイクルの上から患者さんを、見る。
この後、家庭医学、病院総合診療医学、地域総合診療、のほかに、申請を、待っているのが、日本医師会か、推薦する、臨床内科医会と、日本病院会の、病院総合医である、今後の、総合診療医の活躍のため、温かい目で見ていてください。

第二の故郷与謝野町
2023年01月20日
私は、約16年前、とある、紹介業者の人に、この診療所を、知った。
外来患者数が、見込める、診療所だ、という触れ込みである。
家内と相談して上、この、与謝野町に来ることに、同意した。
思い切った判断であった。
以前、消化器内科の後輩が、開業していたが、そのあと、再び開院した。
その地与謝野町に来てから、この土地にも、慣れ浸しんだ。
由良川の支流の、地に、機織り業を勤しんだ、家家が立ち、周りを、山に、囲まれ、大江山の高台からは、集落が、畑の中に、集まっている。川は、秋になれば、50センチほどの鮭が、4匹5匹と、泳いで、水も、綺麗だ。
学校や、スーパー、郵便局が、あり、時々、織り機の音が聞こえる。
町が経営する、公園は、春になると、桜が綺麗に咲く。山々は、秋になれば、紅葉して、色彩の鮮やかな、季節になって、冬を、迎える。
当クリニックは、すでに、16年目を、迎え、在宅医療を中心に、外来をしながら、このコロナ禍に、発熱外来をしている。往診の傍ら、時間を気にしながら、2時に一旦クリニックに帰り、パソコンの従業員と、メールを、見ながら、再び、往診に出る。
近くの、住民の人に、運転手をしてもらって、近くの、宮津のホテルで、夏、慰安会、天橋立を、見ながら、冬の忘年会、蟹づくし、しばし、休日には、伊根町の港まで、海岸通り沿いに、車を走らせる。
そんな毎日ー金曜日の夜に、堺市の実家に車に乗って帰る。
ふたたび、土曜日の夜、与謝野町に帰り、あくる朝、日曜外来をしている。そんな1週間である。
院長と総合診療医
2022年10月25日
私は、消化器内科の医局に、属していたが、ある時、所属の教授から、研修の打ち切りを告げられ、登録医に、おくから、研究を、続けてくれ、と言われた。
博士課程時代の、研究のノウハウを、利用しようという魂胆だな、と感じた、私の、オーベン自身、まだ、博士論文を、通過しておらず、その、ゼラシーもあった。
そこで、歳を、経てから、伊豆の、臨床統計デザイン塾に、一週間参加し、その後、家庭医療に、老健施設の、呼吸器感染症の検討という、研究論文を出し、授与された。
その後、プライマリケア医として、今まで、2006年のプライマリケア認定医を、はじめに、3学会の、病院総合診療医学医会、地域包括医療ケア認定医と、それぞれ、取得している。
その中でも、2018年に取得した、病院総合診療医学認定医は、総合診療医として、認定された、証だ。
近畿厚生局の医務官が言うに、私は、主たる標榜科は、内科であると!
あとは、サブを含めた、正式な専門医の取得として、ハードルの低い試験に、合格するか、または、正式に医学会連合の認める、peer pointの論文を書くことが、必要があり、その、準備をしているところである。
少なくとも1つの専門医は欲しいが、1つも、取れないと、悲しい。
年齢的に早く、取得したいが、

院長と第二の故郷 与謝野町
2022年07月11日
この地域は、水が、豊富で時に、水害に遭う危険がある。
水は、澄んでいて、鮎がいる。台風が近づいてきた時は、
住民は、テレビを見て、水害の被害が及ぶか心配する。
いいコメも取れるが、なかなか、ちりめんに変わる、産業がない。
高齢化は、進み、40%に近く高齢化社会である。
診療所に訪れる患者さんも、時に、高度な認知症の人も、おられる。
それが、故に、小さな子供達が、貴重がられ、子供歌舞伎も、祭りには、ある。
私は、訪問診療していて、もはや、車を、放棄した老人が、当クリニックの車を利用していただけるのは、お互いに、田舎町なので、大いに利便性がある。
地域の中に、入って、家族さんから、事前処理書を作成することも、
我々、クリニックにとっても、重要な、仕事である。
最近では、ちりめん織りは、観光事業としても、重要なので、
それに、主従する、人たちは、貴重な、人材となりつつある。
ここ与謝野町も人口が、2万人となり、人口減少が、続き、医療従事者も、減少しています。
財源も枯渇してきていて、大変な時期になり、
我々、診療報酬の改定により、常に、経営体系を変えないといけない。
私自身も、年齢的に、院長としての、モチベーションを上げていく努力を常にしています。

院長と学会
2022年05月26日
私は、いろんな学会に、入会していて、それぞれの学会に演題を、投稿する事を、趣味にしている。
当クリニック内で、ZOOMで、発表している。
しかし、演題をまとめた、論文投稿には、なかなか至っていない。
時に、一般演題が落ちることは、まずない。
しかし、それが、正式な専門医資格につながるかは、試験があるため、なんともいえない。
しかし、シルバー医師にも、優しい学会が、このたび登場した。
学会発表する若さがあるうちは、まだ、老け込まない。
アナログ世代で、パソコンには、の不慣れだが、mrさんや、薬さんに、手伝ってもらってやっている。
コロナ禍の中、流行が、下火になってきている。学会にも、おもむいて行く予定です。

院長とfashion
2022年02月08日
私は、この年になると、着飾る必要があり、それをつくづく感じている。
たびたび、高島屋や、阪急のメンズ館を訪れ、品定めをして購入する。
それは、安からず、高からずの商品で、普段より診療所で身につける。
季節に応じた、服を着て、夏は、ブレザーなしの、冬は、コートを2-3着変える、
最近、色や、着色に凝り、ログマークにも凝る。
お金もいるが、許容範囲内でやっている。
ピエールカルダンや、papas、メンズ店の、ニュヨーカーなどである。
購入する際に、電話するか、直接店を訪れるか、いずれかである。
色わいは、青、緑を好む。ズボンは、papasのジーズンが多い。
どらかといえば、冬に、購入する金額が多い。
たまに、着たものを、評価されると、よくも、悪くも、嬉しいものである。

院長と文体
2021年11月16日
私の文体は、口語体ではない。
平家物語などを、模した、文語体の影響が強い。
祇園総社の鐘の声ー諸行無常の響きあり、
精舎必衰の断りをあらわす、おごれるものも、久しからず、ただ春の世の夢の如し。
のまさに、この文体で書いている。
例えば、実家の堺市
以前は、ゴミや、煙の街で、工場地帯があった。
工場の近くに、マッチ箱のような、家が散在していた。
道路は、まだ舗装されず、下水道も、充分では、なかった。
昭和37年ごろから、舗装工事が始まる。
次第次第に、ビルディングが立ち、商業施設、マンション、高速道路が行き来する。
次第に。日本の、主要都市へと、変貌していく。
我が実家は、堺市堺区にあり
、昭和の名残を残す。
院長とFacebook
2021年08月25日
この最近、Facebookに凝り出した。
以前、Facebookの会社が、世界中に、私のFacebookの内容から、
プロフィールを動画して、流してくれた。
それが、アフガンの、国際平和維持軍の兵士たちに、共感を得て、
たびたびの、リアクションとコメントなどの投稿があった。
アフガンの兵士たちは、報酬を得て、国外の国では、
リッチな生活をしているが、まだまだ日本への憧れがあり、
コロナが、収束したら、日本で生活して、在留資格を取得して、
成功したいと言う人が、多い。
アフガンの兵士の中には、医療チームもあり、
上級医から、指導を受けている、医師や看護師もいる。
ミッションは終わるが、ほとんど応答あるのは、
アメリカなどに帰国した、元兵士たちである。

院長の家路
2021年03月26日
当クリニックは、与謝宮津地域の診療所としては、一番福知山市に近い。
当クリニックを車で出ると、与謝峠の山間を、行き先ず、与謝トンネルに、差し掛かる。
このトンネルを、超えると、福知山市雲原で、川の水の綺麗な、いい米ができる。
夜には、鹿が、川沿いにやってきて、時々車と、衝突する。
雲原を、下れば、由良川の支流その川沿いにに行けば、福知山市の市街地に入る。
ガソリンスタンドや、ラーメン屋や、旅館更に行くと、上り坂になって、高速道路に入る。
そこからは、7〜8個のトンネルを抜けると、吉川へと、
さらに、中国自動車道を、抜けると、神戸トンネル、いよいよ都会に入ってくる。
さらに、西宮名塩インターを、宝塚から、池田。
いつも、ギンギンした大都会がある。
大きく息をして、また、今週も、終わったかーと、そんな週末を過ごしている。

院長と町医者
2021年01月05日
私の家族は、父が、大阪の堺市の町医者である。
父は、国民皆医保険の成立するため、医師会の連中と、運動を、起こした。
まだ、終戦後まもない時である。
父の姿を見て育った環境で、町医者である良さを、子供ながら、噛み締め、将来、再び、町医者になる。
その夢は、叶えられた。しかし、開業医にとって、診療報酬を、めぐる厚労省との駆け引きは、今も変わらずある。
地域医療を、めぐる、報酬は、色々名前を、変えても、社会的な問題である。
それが、ある、過程を、へた医師の報酬であるならば、さらに、問題も、大きい。
1980年ごろから、プライマリケアという言葉が、注目されて、家庭医制度、が問題視されてきた。
そのいく先が、どこであれ、我々は、それ以上、口を挟むのは、やめておく。
一方、町医者という環境で育ったせいか、その中での生活には、ぴったりはまっている。
しかし、今は、コロナ禍の中で、旅行に行くことや、グルメを堪能することも、ご法度である。
もしこのコロナ禍を切り抜ける、夢ばかり見ている。
