院長のライバル
2013年03月09日
私の高校3年時、宇治市の親戚の所に2つ半年上のいとこ(66歳)のもとに一緒に受験勉強の為に出かけた。いとこは2年浪人していた為、私が大阪市立大学へ入学した同じ年に京都大理学部に入学し、その後卒業と同時に三和銀行へ。
ゴルフとともに友人は数多く作る社交派で、京都支店長になりその後、三菱東京UFJ銀行の本部部長役員となり、銀行の融資係をしていた為、大京(株)社長、さらにサービス保険社長となり、さらにその下の会社の社長になっている。
いわば私にとって、どうしても負けられない永遠のライバルである。
院長と往診
2013年01月09日

私の往診は父の開業の手伝いから始まる。
昭和58年頃、70歳の老人が嘔吐して、気分不良を訴えた時に往診した。
父のバッグからノバミン1アンプルを筋肉注射して帰った。
その後、枚方市の佐藤病院で水曜日のみ午前中12時頃まで、
15名程の往診患者をまわって往診した。3年間続いた。
その後、このスキルをいかし開業後、在宅主治医として50名程往診している。
ちなみに2006年から在宅支援診療の制度ができた。
院長と与謝野町
2012年09月04日
院長の高校の先輩には、俳人 与謝野晶子がいる。
与謝野町の金屋という所に、晶子の写真や詩集が残っており、
与謝野町一帯は、与謝野家の人々がまだ少しいらっしゃる。
また、女性では先輩にオノ・ヨーコ、後輩には沢口靖子などがいる。
まだ加悦には、昔ながらのちりめん街道などがあり、
院長の第二のふるさとである。
院長と税理士
2012年06月18日
開業後の税理士さんは、前院長からのひきつぎの税理士さんで、なにかと前院長と比較され、やりにくかった。1年半後、税理士さんを換えてからは、常に電話で対応してくれた為に、高い報酬も気にならなかった。その後クリニック軌道に乗った。
院長と洛南高校
2012年06月18日
私は、中学卒業後私立高校として洛南高校を併願志望していた。
合格後、中学の校長あてに、公立高校を選ぶよりも我が高校へとの招待状が洛南高校から届いた。当時同校は、全国から中学生を選んで有名私立高校へと飛躍する時期だった。
院長と名刺
2012年06月18日
私は、大学病院時代から常に名刺を作ってきた。ほとんどが階式を主とした名刺で何のおもしろみもないものだった。開業するようになって写真入りの名刺を 作ったが、そのほとんどが気に入らないもので、最近作った名刺は、写真入りの政治家のような名刺である。どこか、しっくり気に入った名刺が作れないか?と 考えている。
院長と腰痛
2012年06月18日
この最近ストーブにあたっていて腰痛が発症した。
人は運動不足というが、それもあるが左下肢痛があり、血行不全があるのか?大阪駅から福知山へ帰り、大阪駅でどうもしようがない程の腰痛にみまわれた。
LLタイプの腰痛ベルトをしめるつもりでいる。
院長の愛読書
2012年06月18日
高校時代から大学生の頃、久米 正雄の「学生時代」という愛読書があった。
一高・東大生や、戦前の学生気質を書いた小説で、今にも通ずるものがある
院長の後継ぎ
2012年06月18日
子供は3人いるが、すべて医師でなく、医師をも終始していない。よって後継ぎはない。
別に後継ぎが必要だと思っていない。
それは私の父親が後継ぎを望んだのに子供がそれによってプレッシャーになった事を考えれば別にいいと思っている。
院長のiPadが崩れた
2012年06月18日
私はiPadIIをもっているが、車から往診カバンと携帯電話とIpadを同時に左手でもって車から降りようとした瞬間Ipadがおちた。
そのままアス ファルトの土面に落ちて、少しブラウン管のグラスの部分、つまり、液晶は良かったがそれをつつむグラスの部分が破損した。しばらくはiPadは使えない。