院長のブログ

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院長とMR

2012年06月18日

当クリニックは高脂血症のお薬を900錠-1000錠毎日購入している。そのMRは今まで数回にわたって接待を受けた。高血圧のお薬も800錠-900錠 某製薬会社から購入している。このMRも数回にわたって接待を受けた。今度MRの接待がきびしくなって、私の方から2人のMRを食事にさそうつもりでい る。

院長と友人(2)

2012年06月18日

旧友は2人とも皮膚科であるが、2~3ヵ月に1回電話をする。2人とも大学生からの旧友で、互いに性格はよく知っていて、こういう場合、どうするか?と思って電話する。しかし年々2人とも年を重ねる度に思考や物の考え方の違いを思う。

院長の妻(事務長)

2012年06月18日

家内は、9月18日の生まれでことし54才になる。そのお兄さんは作曲家であり、その血をひいた家内や姉妹とも歌がうまい。いずれもちょっとした歌手の腕前であり、私の3人の子供とも歌がうまい。常にカラオケではまけている。

院長の祖父

2012年06月18日

私の祖父は、母方は山崎という。東宇治町長から第1期目の初代宇治市長に当選し、 1期務める。
父方は木村で、大阪の造幣局の隣に三菱化学研究所があり、その所長で、満州鉄道の理事であったが、私が生誕する1ヵ月後に没した。

院長の勤務医時代

2012年06月18日

ただ与えられたものを消化するのは、私は、嫌いである。
だから20~30年間続いた勤務医も、平成19年5月でもって退職した。
もっと自由に医療現場で働きたい、よって開業医として58才になってから現場に立った。 これは、自由に学問が出来た大学院時代に通ずる。

院長の嗜好

2012年06月18日

タバコは大学生時代すべての銘柄を試したが、ほとんど気に入らなかった。その後タバコはやらない、つまり体質に合わない、酒は少量で350mlのビールを 1週間に4~5本。休肝日は2~3日である。時々、宮津の地ワインを1本。コーヒーは常に飲んでいる。

院長の父

2012年06月18日

父親は、昭和20年以前に大阪医専を卒業し、陸軍士官学校の、堺の金岡に配属され軍曹から少尉に上がった。やがて、太平洋戦争が始まり、名古屋の第3師団 から中国大陸へと軍医として戦場へ、戦時中にマージャンをやったり、馬にまたがって移動した。その後、中尉から大尉へと昇進。
昭和20年末に日本の大阪へと帰ってきた。その後、立石という京都府立医大の内科講師のもとに研究生となり、博士号をとると、現在の京都府宇治市小倉町で開業した。

院長の友人、A君、B君

2012年06月18日

A君B君とも皮膚科の開業医である。A君B君とも昭和58年当時、大阪市大病院の皮膚科に属し、ともに、里で開業した。
A君は、医院を大きくし、医療法人化し、さらに毎日150名~170名の患者をみている。
B君は、個人の診療所でこぢんまりとした医院でパートの事務員一人で開業している。ともに旧友である。
A君、B君のことは、また後に報告する。

院長の暗黒時代と開花期

2012年06月18日

私は、大学時代暗黒時代を迎えた。 つまり、ASLO高値、微熱、神経衰弱、不眠症に悩まされた。 人はやれ「あいつは死んだ」「あいつは変わってる」とはやしたてた。
休学のすえ10年で大学を卒業した。大学院時代には、仕事はずんずん進んで学位論文を2枚提出した。 開花期を迎えた。

院長と年齢

2012年06月18日

現在63才である。診療室では、患者さんに老いてみられ、70才~80才?と聞かれる。 63才だというと、点滴中の患者さんがあ然とした。 若い!
頭が僅か薄いせいか?どうしても歳をいいあてた人はいない。

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

木村内科クリニック

全日本病院協会 準会員施設
日本病院総合診療医学会認定施設
地域包括医療・ケア認定施設

診療科目

内科、消化器内科、小児科、心療内科、
精神科、リハビリテーション科

所在地

〒629-2404
京都府与謝郡与謝野町後野
643-7

TEL:0772-43-2134
FAX: 0772-43-2134

  • 北丹後鉄道「野田川駅」より
    車で約10分

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