院長のブログ

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院長と第二の故郷 与謝野町

2022年07月11日

この地域は、水が、豊富で時に、水害に遭う危険がある。

水は、澄んでいて、鮎がいる。台風が近づいてきた時は、
住民は、テレビを見て、水害の被害が及ぶか心配する。

いいコメも取れるが、なかなか、ちりめんに変わる、産業がない。
高齢化は、進み、40%に近く高齢化社会である。

診療所に訪れる患者さんも、時に、高度な認知症の人も、おられる。
それが、故に、小さな子供達が、貴重がられ、子供歌舞伎も、祭りには、ある。

私は、訪問診療していて、もはや、車を、放棄した老人が、当クリニックの車を利用していただけるのは、お互いに、田舎町なので、大いに利便性がある。

地域の中に、入って、家族さんから、事前処理書を作成することも、
我々、クリニックにとっても、重要な、仕事である。

最近では、ちりめん織りは、観光事業としても、重要なので、
それに、主従する、人たちは、貴重な、人材となりつつある。

ここ与謝野町も人口が、2万人となり、人口減少が、続き、医療従事者も、減少しています。

財源も枯渇してきていて、大変な時期になり、
我々、診療報酬の改定により、常に、経営体系を変えないといけない。

私自身も、年齢的に、院長としての、モチベーションを上げていく努力を常にしています。

 

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院長と学会

2022年05月26日

私は、いろんな学会に、入会していて、それぞれの学会に演題を、投稿する事を、趣味にしている。
当クリニック内で、ZOOMで、発表している。

しかし、演題をまとめた、論文投稿には、なかなか至っていない。

時に、一般演題が落ちることは、まずない。
しかし、それが、正式な専門医資格につながるかは、試験があるため、なんともいえない。

しかし、シルバー医師にも、優しい学会が、このたび登場した。
学会発表する若さがあるうちは、まだ、老け込まない。

アナログ世代で、パソコンには、の不慣れだが、mrさんや、薬さんに、手伝ってもらってやっている。
コロナ禍の中、流行が、下火になってきている。学会にも、おもむいて行く予定です。

 

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院長とfashion

2022年02月08日

私は、この年になると、着飾る必要があり、それをつくづく感じている。

たびたび、高島屋や、阪急のメンズ館を訪れ、品定めをして購入する。

それは、安からず、高からずの商品で、普段より診療所で身につける。

季節に応じた、服を着て、夏は、ブレザーなしの、冬は、コートを2-3着変える、

最近、色や、着色に凝り、ログマークにも凝る。

お金もいるが、許容範囲内でやっている。

ピエールカルダンや、papas、メンズ店の、ニュヨーカーなどである。

購入する際に、電話するか、直接店を訪れるか、いずれかである。

色わいは、青、緑を好む。ズボンは、papasのジーズンが多い。

どらかといえば、冬に、購入する金額が多い。

たまに、着たものを、評価されると、よくも、悪くも、嬉しいものである。

 

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院長と文体

2021年11月16日

私の文体は、口語体ではない。
平家物語などを、模した、文語体の影響が強い。

祇園総社の鐘の声ー諸行無常の響きあり、
精舎必衰の断りをあらわす、おごれるものも、久しからず、ただ春の世の夢の如し。

のまさに、この文体で書いている。

例えば、実家の堺市
以前は、ゴミや、煙の街で、工場地帯があった。
工場の近くに、マッチ箱のような、家が散在していた。
道路は、まだ舗装されず、下水道も、充分では、なかった。

昭和37年ごろから、舗装工事が始まる。

次第次第に、ビルディングが立ち、商業施設、マンション、高速道路が行き来する。
次第に。日本の、主要都市へと、変貌していく。

我が実家は、堺市堺区にあり

IMG_0897、昭和の名残を残す。

院長とFacebook

2021年08月25日

この最近、Facebookに凝り出した。

以前、Facebookの会社が、世界中に、私のFacebookの内容から、
プロフィールを動画して、流してくれた。

それが、アフガンの、国際平和維持軍の兵士たちに、共感を得て、
たびたびの、リアクションとコメントなどの投稿があった。

アフガンの兵士たちは、報酬を得て、国外の国では、
リッチな生活をしているが、まだまだ日本への憧れがあり、

コロナが、収束したら、日本で生活して、在留資格を取得して、
成功したいと言う人が、多い。

アフガンの兵士の中には、医療チームもあり、
上級医から、指導を受けている、医師や看護師もいる。

ミッションは終わるが、ほとんど応答あるのは、
アメリカなどに帰国した、元兵士たちである。

 

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院長の家路

2021年03月26日

当クリニックは、与謝宮津地域の診療所としては、一番福知山市に近い。

当クリニックを車で出ると、与謝峠の山間を、行き先ず、与謝トンネルに、差し掛かる。

このトンネルを、超えると、福知山市雲原で、川の水の綺麗な、いい米ができる。

夜には、鹿が、川沿いにやってきて、時々車と、衝突する。

雲原を、下れば、由良川の支流その川沿いにに行けば、福知山市の市街地に入る。

ガソリンスタンドや、ラーメン屋や、旅館更に行くと、上り坂になって、高速道路に入る。

そこからは、7〜8個のトンネルを抜けると、吉川へと、

さらに、中国自動車道を、抜けると、神戸トンネル、いよいよ都会に入ってくる。

さらに、西宮名塩インターを、宝塚から、池田。

いつも、ギンギンした大都会がある。

大きく息をして、また、今週も、終わったかーと、そんな週末を過ごしている。

 

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院長と町医者

2021年01月05日

私の家族は、父が、大阪の堺市の町医者である。
父は、国民皆医保険の成立するため、医師会の連中と、運動を、起こした。
まだ、終戦後まもない時である。

父の姿を見て育った環境で、町医者である良さを、子供ながら、噛み締め、将来、再び、町医者になる。
その夢は、叶えられた。しかし、開業医にとって、診療報酬を、めぐる厚労省との駆け引きは、今も変わらずある。

地域医療を、めぐる、報酬は、色々名前を、変えても、社会的な問題である。
それが、ある、過程を、へた医師の報酬であるならば、さらに、問題も、大きい。

1980年ごろから、プライマリケアという言葉が、注目されて、家庭医制度、が問題視されてきた。
そのいく先が、どこであれ、我々は、それ以上、口を挟むのは、やめておく。

一方、町医者という環境で育ったせいか、その中での生活には、ぴったりはまっている。
しかし、今は、コロナ禍の中で、旅行に行くことや、グルメを堪能することも、ご法度である。

もしこのコロナ禍を切り抜ける、夢ばかり見ている。

 

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院長の幼少期と大阪

2020年12月08日

大阪は、ゴミゴミした、煙の町だった。

昭和30年代、道頓堀のほとりに、ステーキ店があった。
時々、大きな車を、引いた、労働者が、引っ掛け橋を、横切った。
ほとんど日本人で、九州から出稼ぎに来た人や、時々、帽子を、被った紳士が、早足で歩く。

私は、小学校生で、父親に連れられて、テレビを見て、初代若乃花が高熱のため、
鏡里の優勝のシーンを、ステーキ店で見た思い出がある。
父と母は、大丸とそごうの、外商にはっていた。
そこから南に、二人に連れられて、高島屋の、お子様ランチを、食べた。

ようやく日本が、立ち上がろうとするとき、新聞では、吉田茂内閣支持率が上がると、
その後、岸首相になって、学生運動が、勃発、
さらに、岸首相が、アメリカとの、安全保障を、合意するや、大学時代になって、
佐藤打倒、さらに、学内団交、阿倍野交番襲撃事件、校内封鎖、と進む。

この頃から、我々団塊の世代は、社会人として、世界を、相手にする、大阪、そして、日本を作る。

 

実家堺市の付近

実家堺市の付近

院長の高校時代の思い出

2020年11月26日

大阪府立泉陽高校時代、

入学式に、講堂で開催され、心に、学年1番、そして、医学部現役合格を、誓う。

それがなんとなく現実になる雰囲気が、漂っていた。

部活はせず、4時に校門を、出て自宅に帰って、昼寝そして、食事。

それから4時半英語数学を中心に、1年から、受験勉強した。

11時半には、ラジオ講座、ハリス講師や、色々な面々。

1年生冬には、校内模試1番になった。

マラソンに参加し、470名169位。

秋のバザールでは、エレキギターが、市民会館に響きわたった。

3年3学期、を終え、大阪市大医学科の試験、

天王寺高校の講堂で、11.4倍の倍率ー冬の風を感じながら、無欲の勝利だった。

もちろん恋愛もあったが、牧歌的な高校時代の思い出がある。

 

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堺市の院長の実家

院長と丹後地域

2020年11月17日

この地域に住んで、はや、13年以上になる。

大江山峡から、野田川の水は清く、たくましい50cm から60cmぐらいの、鮭が、水しぶきをあげている。11月初旬。川辺沿いに、覗くこむように、川底を、2-3人の人々が、また今年もかとばかり。

少し日が陰ってきた感じがする。3時ごろ、山々の紅葉の時期は、未だか?
この地域は、くっきり晴れたかなあと思うと、突然パラパラと雨が降る。そして雨が上がると、虹を見る。しばらく経つと曇りの日が続き再び雨が降り始める。
弁当忘れても、傘忘れるな。という地域である。まさに、山陰に近い。

与謝野町、金屋、滝、与謝の地域は、すでに空き家が増えて、人口も減少、
それより、北の後野、加悦に、ちりめん街道が続き、時々、はたを織る、音が聞こえる。
それより、北に行くと、スーパーがある、また、郵便局、学校。

65才以上の人々が、30%以上、介護医療福祉の点では、都会の、10年先を走っている。
診療所も、恵まれている。当クリニックは、後野にあるが。外来は少し、在宅患者さん中心の在宅支援診療所である。

 

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京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

京都府与謝郡与謝野町 内科・消化器内科・小児科・心療内科  木村内科クリニック

木村内科クリニック

診療科目

内科、消化器内科、小児科、心療内科、
精神科、リハビリテーション科

所在地

〒629-2404
京都府与謝郡与謝野町後野
643-7

TEL:0772-43-2134
FAX: 0772-43-2134

  • 北丹後鉄道「野田川駅」より
    車で約10分

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